私が、最後に葬儀に参加したのは、祖母を無くした時でしょうか。
私にとっては人生で4度目の葬儀でこれで父方母方共に私にとっての祖父祖母はこの世界から旅立ちました。
一番はじめに亡くなったのは私を一番可愛がってくれた父方の祖父でした。
はじめは足がムクんだ程度ですぐ退院できると誰もが思っておりました。
しかし精密検査の結果、悪性の腫瘍が見つかり、発見時には全身に転移し手遅れでした。
なんどもお見舞いにいきました。
日に日に衰えていく祖父を見ることが辛かったですが、祖父が亡くなり葬儀の日、なぜか私の心は穏やかだったことをおぼえております。
『プレグリーフ』という言葉がある。
最後に亡くなったのは父方の祖母でした。93歳でした。なくなる数ヶ月前まで家で過ごし、定期検診で異常が見つかり入院となりました。
特に病気というわけではなかったが老衰という事でした。
私も大人になって曲がりなりにも仕事をしていました。子どもの頃の祖父の時の様に毎日とまでは行けませんでしたががお見舞いに顔をだしていました。
しかし祖母が亡くなり葬儀の日、私の心は今振り返っても溢れださんばかりに波打っていました。
この心の動きの違いは、なんだったのでしょうか?
単純に言えば、私が年をとり成熟したことで、大人になって感情がより複雑になったということでしょうか?
私が、たどり着いた「答え」の一つが、
大人になった私たちは、死を身近に感じ触れてきたことでまだ訪れていない死の苦しみや、過ぎ去った苦しみを心の中で何度も追体験してしまうということでした。
Pre Grief(プレグリーフ)やAnticipatory Grief(アンティシパトリーグリーフ)予期悲観と和訳されるそれは、終末期医療の中で患者や家族に起こる喪のことをいいます。
予期される死に対する思いや考えがストレスとなって蓄積していくというのです。
私は今もあの頃の私に問いかける事があります。
答えなどない事もわかっているのにです。これもグリーフなのだと実感しています。
葬儀はプレグリーフケアである
僧侶の高橋託児氏はいっています。葬儀は、「プレグリーフケア」であると。
仏教を開いた釈迦が問いた人が避けられない苦しみ生苦、老苦、病苦、死苦としました。
この4つの苦「四苦」をどのように抜苦(抜いていくか)それが僧侶の仕事であり、四苦の終着点が「葬儀」という場だといいます。
こころが痛みきっている残された人たちをいかに癒していくかそれが葬儀なのです。
遥か昔、住職とは十の職業だったといわれています。
僧侶は、この世の凄まじい苦しみの最前線で「苦しみを癒すこと」がどうしたらできるのかを考えることが仕事だといいます。
葬儀を通じて、故人への愛を再認識し自分自身を許すことが、苦からの解放の一手なのかもしれません。